朝っぱらから喧嘩の怒号が鳴り響く渋谷を掻き分け、マコさんのセミナーに参加。
見るからに頭の良さそうな人達ばかりの中、90分話しっぱなしで一切眠くさせないプレゼンが炸裂。全力でメモを取るも、エンジニアとして一番大事な事は「良い人になれ」という事で、これはもはやエンジニアに限った話しでは無い所がまた良い。
音楽の道を志して上京するも、ステージパフォーマンスで直接理事から話し掛けてもらえたりと手応えはあったものの、連日カラオケオールからの松屋、そうしている帰り道でふと「俺の人生こんなんで良いのか、圧倒的なライブで観客を沸かす事を夢見ていたんじゃなかったのか」と思い、しかし何をやれば良いかが分からない。そこで始めたのがパソコンでの音楽制作。
親から多額のお金を出してもらいパソコンと音楽録音ソフトとmidiキーボードを揃え、環境設定を整えるのに苦戦。参考書を元に設定しても音も出ない、何も進まない状態が1ヶ月続き、講師に個別で時間を割いてもらい、一つ一つ解決に導いてくれて、映画学校の劇版音楽を制作したり、仕事としてインディーズバンドのレコーディングをしたり、少し希望は見えてきた。
しかしこれだけだと行き抜けない。幸いにもマネージャーから仕事先の現場を紹介してもらい、そこで音楽再生機の音声を測定したりという地味な作業を担当。先輩方に恵まれ、ランチ1回で色々な話しを聞けたり、家に遊びに行ったり、青春的な要素が満載で楽しかった。でも何かが足りない。目標を持って良いライブにしていく体験、それ以上に楽しい事はなくて、そのプロセスを作りたい。そんな愚かな事を考えて辞退し、別の道を進む。
(この時期、凄く仕事が出来るのに、1日に10文字しか喋らない仲間がいて、話しても返事が無い、何を考えているか分からない、不信感を煽り腹が立って、結局コミュニケーション別れをして、この時、対話って凄く大事だと体感し、これが後の立ち振る舞いを大きく変えるキッカケになった。)
その先がゲーム会社(旧SCE)のバックオフィス。音楽とはあまり関係無いけど一生をここで終えても良いと思える様な所で、どんな事も楽しく思い切り取り組められた。恐らく武村さんが人物像の理想の姿と重なっていた事と、周囲の人もエネルギーに満ちていて、一緒に物事を進めていく事に充実感があったからだと思う。ハイスペックPC、コーヒーも無料、軽量式の社食で食事会に参加したりと環境面もズバ抜けて良かった。なのに、髄膜炎での入院を気に辞退する事になり、暫く経って別の現場へ。
青山一丁目の現場では、明日よりもっと早く来れない?と聞かれ、つまり今日行ってくれという状況で、着いたら既に燃えていて、一日のメールが500通、納期を破れば4000文字の手書き反省文の提出、イカれてる。別グループの協力者に早朝から時間を割いてもらい連携で対処し炎上を鎮火させながら、身近な歳上の人達をマネジメントし、全国支社13拠点に動画MTGで内部の動きや協力依頼事項を話したりと、スケジュール調整と対話と文章作成に頭が千切れそう。この経験が加わった事で生き抜く土台が形成された感じで、皆んなも何だかんだ喜んで協力してくれた。相手に使われるサービスを提供出来る力は手堅い、その為に、相手の立場に立って考える事は手放せない。これはビッグトレンドであり努力では無い。頑なに悪口を言わず人の話しを聞く、これが圧倒的に大事。
ネットで仕事を探す必要が無くなり、過去の人から舞い込んでくる状況、それはゲームの様に楽しい。達成度合も納期も自分の責任。ライブパフォーマンスで誰かの迷いや痛みを切り裂く事に力を注ぎ、それが何かの役に立てれば良いし、仲間と協力して一生続けられるプロセスを構築していく、「君と出会えて良かった」その一言を勝ち取る事。
そんな思い出を書き綴り、上野へ移動してまりちゃんと合流して書画展、200程の作品を見終え、新宿へ。
厨房に立ち入るお客を見受け、何でもありな店内でご飯をもらい、作業して、国際交流の空間を楽しむ。